桜桃忌とか憂国忌とか、自分の命日が代表作に擬えられるの少し羨ましい。私は何も残さずに終わってしまうから最後まで虚無のままなのだろう。


耳鳴りも幻聴もふらつきも、人間としての機能が故障してるだけだ。

結局不安定も憂鬱も脳味噌のどっか感情らしきものを司る部分がバグっているだけだろう。全部全部合ってないような物で、修理ができないのならばもう廃品を破棄してしまえば良いだけだ。


死んでしまおうと思うと、つまらない女ゆえに恋人のことばかり頭によぎる。

私は彼のことを間違いなく愛していた。正しい愛はついぞ分からなかったが、それでも私なりに彼を愛していた。多分間違えていたけれども、それでも必要だった。

最後に長いキスをしておけばよかったな。


少なくとも受験が終わるまでは、絶対に死んでたまるかと思って毎日健気に生き抜いていたと自分でも思う。

今死んで、そうして死んだ理由が受験に落とし込まれるのが気に入らなかったからだ。

恋人のせいで自死するならば100パーセントお前のせいで死ぬのだぞと示したかったし、それは家族に対しても同じであった。

学校や職場にはそこまでの感情も執着も持ち合わせていないため、そちらにどう思われてもまあ構いはしないが。


放課後にファミリーレストランに寄り道するのと同じくらいの軽さで入水しようと思った。

今回は誰のせいとかでなく、疲れ切った自分にご褒美をあげなくてはと思った。

擬似体験になるかもしれないけれど、本体験にもなり得る。台風が来てくれて良かった。