教育とエゴ

父親は前にも述べた通り私に幼児性を見出すことを何より嫌った。彼は根本的に子供を育てるのに向いていなかった。というよりも、子供を育てるという意識がまるでなかったらしい。彼は女を育てていた。性的な意味でなく、私をきちんと女として育てていた。


父と食事に行くと、昔から、今でも、そこそこ良い店に連れられる。

父がいるときは自分で言うのもなんだが比較的裕福な生活をしていたように思う。

彼が浪費家であっただけかもしれないが。


私は、父親の虚栄心から私に良い物を食べさせたら与えたりしているのだと思っていた。

味もテーブルマナーも分からない小学校低学年の私を良いお店に連れて行く意味が分からなかった。

そういえば、小学校一年生の時の誕生日プレゼントはコーチのバッグであった。

確実に年相応でなかったし、コーチを持って公園に泥遊びしにいけるわけがないだろう。とりあえず特別なお出かけ用にしておいたが。


先日、父と食事に行った。

少しいい鰻を食べた。

鰻といえば尾花さんが一番だと思っているのだが、その話をすると父は少しだけ私たちの昔の話をした。




「奢る側はけちだから、顔を見れば値段で美味しいと言っているのか味を美味しいと言っているのか分かるもんだよ。だから値段の分からない子供のうちから味で美味しい物を知って欲しかった」


「美味しいものを食べた時のお前たちの顔が好きだった」


「俺の娘が、将来変な男にしょぼい料理連れていかれて有難がっていたら悔しいだろ」


「小さい頃からそこそこ良い物を知っていれば、それ以下しか知らない男なんてつまらないだろう」


「つまらない男に引っかからないでくれ、くだらないと思えるようになってくれとずっと考えていた」



彼は私がほんの小さいうちから、もう女になった私のことを考えていたらしい。

彼の不器用な優しさを、私はもっと早くから知ってあげられていれば良かった。

思い出を美化したくないのに、父は後出しのように愛情を漏らす。どうかやめてくれ。



その教育の甲斐あってか、姉は大企業の本社勤めで出世コースの、そして優しい男と結婚して子をなした。


私は私で、世間的にハイスペックと言われるような人間にしか惹かれない女になってしまった。

将来有望とか、生涯年収とか、そんな浅ましい感情で好感を持っているのではなくて。

父の呪いだ。

父は私の中で唯一神であり、彼は何もかもが飛び抜けていた。結局はファザコンだから、どうしてもその影を追ってしまうのだ。

そうして私に見合う人間になんか満足できなくなって、高望みし続けなければならないのだ。

対等な力関係は求めていないし弱者でかまわない。


こうして私は母の後を追っていくのだろう。

愛の無くなった偏った力関係はいとも簡単に暴力を引き起こすことは分かっているのに。

それでも、服従と引き換えに庇護を求めてしまうのだ。


私が父を投影していることを恋人はとても嫌がる。なので、これを読んだらきっと怒ると思う。あるいは悲しむかもしれない。

平たくいえば、私はおまえに父性を感じているだけなのだからそう斜に構えないでくれ。

悪い意味でないから。