血縁と人

両親は、私が中学二年生か三年生の時に離婚した。悲しいことに、父と送った生活や出向いた旅先の記憶ががらんどうに抜け落ちている。ただ、家以外の学校生活であったりの記憶もさっぱり手放してしまっているため、家庭環境がそれほど忌まわしい訳でもなかったのかもしれない。今やとても確かめようがないけれども。


私にパニック癖と過呼吸癖が付いたのは、多分だけども中学一年生か二年生あたりだったと思う。

父の理不尽な怒号にどうしていいか分からず、家族がみんないる前でごくごくと水を飲んだ。無くなったら汲んだ。そうして飲んだ。何杯飲んだか分からないけれど、限界まで胃に何の変哲も無い水道水を詰め込んだ。

彼らは、困ったように私を見ていたと思う。

そのままトイレに駆け込んで、押し込めた水分を一気に便座内にぶちまけた。

吐瀉物が混じっていた。


あまりの異端な行動に、どうやら父も度肝を抜いたらしい。打って変わって、猫なで声でどうしてこんなことをしたのかと問いた。

私はどうにもムカついて、されどお前のせいだという事もできず、何も喋れない抑圧感からうまいこと呼吸ができなくなってしまった。

人生で初めての過呼吸だった。

手足の先と、鼻っ柱がわんわんと痺れて感覚がなくなる。どんどん意識が遠ざかる。ただいきは上手く吸えないから死ぬほどに苦しかった。


そこからというもの、堰を切ったように私は過呼吸を起こすようになった。

段々とパニックも起こすようになった。

男性の怒鳴り声が耳につくと、どうにも上手く呼吸機能が機能しなくなるのだ。



両親は、私が中学二年生か三年生の時に離婚した。悲しいことに、父と送った生活や出向いた旅先の記憶はほとんど抜け落ちてしまったけれども最後の夜はよく覚えている。

土下座する父親と、罪を犯しつつも涼しい顔で被害者のふりをする母親。

幼い妹は泣いていた。

しっかり者の姉は、今まで見た事もないような怒り方をしていた。父にか、母にか、祖父母にか、対象は覚えていない。

平行線上の話し合いを突き破るように、突如私は金切り声をあげていた。

確かそのまままた過呼吸を起こした。

私がおかしくなってしまったので、そこで話し合いは御開きとなった。


帰り際に父方の祖母が、「〇〇さん(私)にあげようと思って、可愛いカエルのおもちゃを買った。渡そうと思っていた。なのにどうしてこんなことに…」と泣きながら去っていった。

そこから祖母には一度も会っていない。

ただ、私に渡るはずだったカエルのおもちゃの事を考えるとどうしようもなく切なくなる。今でも。


絶縁して三年以上経った。

祖母はもう捨ててしまっただろうか、それともまだ持っているのだろうか。覚えているのだろうか。

一つ言えることとして、出先で私を思い出して、これをあげたいと手に取ってくれることはきっともうないのだろう。



現在私は、母の実家で母の祖父母と共に暮らしている。

アル中の祖父が声を荒げるたびに、私はつんざくような悲鳴をあげてそこらのものを叩いたり蹴ったりしてしまう。


他の家族に宥められて平静を取り戻すたびに、私はあの夜を思い出す。

高圧的な父が憎かった、しかし被支配の喜びを教えてくれたのは彼であった。

そんな父親が土下座した時の小さな丸まった背中となさけない気持ち。

そうして、去っていく祖父母。


血縁があれど他人になってしまった彼らは、今一体どこでなにをしているのだろうか。

まだ忘れないでくれと思ってしまうのは高慢だろうか。

どうか私のことを、少しでも愛していてくれればと思う。虫の良すぎる話だけども。