愛着障害

人を愛することが得意だ。

同時に憎むことも恨むことも傷つけることも得意だと思う。

人間が嫌いで、気味が悪くて堪らない。しかし何者かを愛で慈しみたい欲求も同時に存在している。

なので不可侵の絶対的な愛情の対象物に一人だけを据え置いて盲目的に愛し、そうして他のものは全て切り捨てる。私の愛は多分そんな性質のものだ。そこそこに、とか わりと、とか 曖昧なものは存在しなかった。


大好きが1あれば他にはまるで興味を持たない、そもそも人間が嫌いなので。


好きな人間が私に好きでいさせてくれる限りは浮気したいとか遊びたいとか少しだって思わなかった。だって人間が嫌いなので。

人間が嫌いなので顔だけいい男とワンナイトとか考えたくもないのだ。セックスフレンドも然り。なにぶん人間が嫌いなもので。苦痛でしょうどう考えても。

蛞蝓でもゴキブリでもなんでもいいから1番嫌いな生物を思い起こしてほしい。

私にとって人間との性交はそれらと行為をすることとなんら変わりなく、唯一の例外として好きな男が存在している。

倫理観は終わっているくせに貞操観念のみ多少まともであるのは、大いにこの人間不信のおかげである。

その時々の愛した人間以外との接触はもはや

自罰であり、自暴自棄の賜物であった。

遊んじゃえとかそういう誘いに乗れてしまえさえすれば多分もっと楽に生きられたと思う。つまり固執しないですむので。


かなり長いこと私の中の唯一神であった恋人は今ではその対象でなくなってしまい、どうしてかすっと執着は潰えた。

あんなに愛していたのに、誠心誠意。

彼自身に対しての愛とか、そういったものは多分もうないのだけれども彼が与えてくれた幸福な時間だけにひたすら夢想してしまう。

+100と−100を交互に与えられ続けるような恋愛だった。劇的な幸せと暴虐の繰り返しであった。これは間違っても彼に対しての悪口でなく、そうさせてしまった自分への恨み節と彼への懺悔である。


私は人を愛することが間違いなく得意であるし、自分への愛着というか自尊心がほとんどないからなんだって受容できるのだ。

なので悪い意味で居心地の良い空間を与えてしまう、悪い意味で。

私のことを傷つけて悦に浸りたいのならば喜んで傷つけられていた。自己犠牲と献身が愛だった。それなのにうっかり限界を迎えてしまったのだ。不可逆性であった。


性的嗜好とか生活リズムとか恋人に求める物とか、私自身はほとんどない。なので相手の求める私になれるし望んだような関係を築き上げられると思う。

頭が悪いので全部察してあげられるかは別だけど、少なくともこうしてくれと頼まれたらなんだってしてあげられるのだ。


愛するのは簡単なのに愛されるのは存外難しく、というか愛されているという実感を私がまるで持てないから常に渇望している。

足るを知らずに際限なく求めてしまう。

愛するのは簡単なのだ、自分を壊せばいいだけなので。

求めて求めて求めて相手を潰して、それでも求め続けるから相手はおかしくなっちゃうんだなごめんね


歪でなく人を愛したい

そこそこに愛するのが多分1番健常

でもめちゃくちゃにすらならない程度の愛着と好意で付き合うことになんの意味も感じないのだ