病める夏
夏はいつだって寛容だ。
春夏秋冬、悪事を押し付けられるのは専ら夏だ。
夏のせいにすればなんだって赦される?
安易な言い訳とサンセットとクロックス、
彼等を区劃すべく太陽は愚直に昇る落りるを繰り返す。1年に大凡70回とかそこら。
コンクリートとアスファルトにしか囲まれたことのないのに、どうして無人駅と向日葵畑を懐古出来るのか私にはわからない。
扇風機なんてろくに使わないし、エアコンの風の前にいつだって全裸で立ちはだかっていたくせに。
概念で夏を理解した気になって、勝手に愛して、お門違いに憎悪する。そうして嫌なことはなんだって押し付けてしまう。
寂しいのも惨めなのも決して夏のせいではないのに。夏があんまり孤独だから、肌を合わす理由をこじつけただけだ。
花火大会も海もプールもお祭りも。
正しく夏を享受するべく、本当は1人でいなければならないはずなのに。
どうか夏の夜空がいつまでも汚くあり続けますように。煌煌と照りつける日中の青空と入道雲とは対照的に、いつまでも鈍く淀んでおりますように。明日が来ませんように。夏が終わりませんように。