不幸論
生きていればいいことがあるよなんて、酷く陳腐な励ましだ。
生きてきて良いことがまるでなかった人間なんてきっといないだろう。私然り。
ただ不幸の割合が余りにも抱えきれないくらいに大きくて、他人の幸福の残りカスとか切れ端みたいなしょうもないたまの幸せだけではとてもとても釣り合いが取れないのだ。
今一番幸せなことは、来月に妹とねずみの国に遊びに行くこと。
何度もあった事例のはずなのに過去の交遊は一番幸せなことから振るい落とされてしまっているから、きっと過去に幸せなんてないのだろうな。
縋りつけるだけの幸が人生にあれば良かったのに。
私の人生は、後悔と暗いぬかるみばかりだ。
多分私は上手く幸せを享受することさえできなくて、周りがいくら優しさと同情を投げたところで無かった事にしてしまう。
だから最後は誰も彼もに興味を失われてしまう。
好きも気遣いも愛情も無尽蔵なものではなくて、返ってこないままに投げかけ続けるといつか弾切れしてしまうのだ。
私だって分かっているのに。
幸せになりたいなんて、さもしい事ばかり口をついて出てくる。
幸せが何かすら分かっていないくせに、生意気だろうと自覚している。
幸せになりたい。
幸せになりたいなんて感覚を産まれながらに持たなくて良いくらいに、幸せになりたかった。
幸せになりたいと感じてしまった時点で、多分負け組なのだ。
幸せに、なれますように。